私の大好きなTV番組は、日曜日の情熱大陸→世界遺産である。
昨晩は国連職員の日本人の話とギリシャのテッサロニキであった。
彼はWFP(国連世界飢餓食糧計画)のスーダン局長である。
彼はTVの前にいる私たちに語りかけていた。
「食べることができなければ、何もはじまらない。」
「この豊かな状況の中でなにか行動に起こそうと思わなくてもいいですが、
このような状況があるということだけは、知っておいてほしい。」
最後の映像はあまりにも凄まじく目を覆う自分がいた。
食糧庫が破壊され、人々は殺された・・・・のである。
彼の願いは自分が失業することであるという。
食事をありがたいと感じられていない自分を思い、なんだか恥ずかしくなった。
明日から、手と手を合わせて「いただきます。」と言い、食事をはじめようかな。
世界遺産で久々にテッサロニキに出逢った。
国境近くのこの地には、過去に3度ほど踏み入れたことがある。
けれども、こんなにも神秘的なところだったとは気付かなかった。
それもそのはずである。 路地裏の食堂で地元のおじちゃま相手に
食事を楽しんだだけであったから。
それはそれで満喫であったが、世界遺産を作るスタッフの眼で世界を
みてみたいなぁ・・・・とも思う。
ある作家の言葉を思い出す。
「この世にはいろいろな悲しみがあり、時間が過ぎていく。自分だけの
狭い世界から、少しだけ頭をだして、人の苦しみを思った。それだけで
私には素晴らしいことであった。」
クリスマスイブだというのに、私は金縛りにあった。
今回の金縛りは凄かったというか、ものすごく怖かった。
体が動かないだけではなく、首を絞められているのか
呼吸困難であった。
私は、とうとう目を開けてしまったのである。
絶対に開けてはいけないといわれているのに・・・。
そして、相手の人と目が合ってしまった。
朝から、その残像に悩まされ、左半身は重く、寒気
がした。 あまりに調子が悪いので、仕事場のお清めの
塩を全身にふりかけてもらった。
仕事も後半となり大分調子よくなったが、バイト先の病院
で誰か連れてきてしまったかなと思うと気分が沈む。
霊感は全くといっていほどないのだが、金縛りだけはよく
あう。 皆にお払いを勧められた。
さて、行ってこようかなぁ。
私の周囲の友人たちの大半が、過酷な恋愛をしている。
そういう自分もつい最近までは、彼女たちと同じレール上に
いたのであるが。次はこのレールに乗らないといいのだが。
ある友人は言う。
「やっぱりね、2番目は嫌ね。愛人とか浮気相手とか・・・そんな
のはこの時期、やたらと寂しいのよ。」
ある友人も言う。
「そろそろ、私だけを見てくれる人がほしいのよ。」
例え、その人の1番ではないとわかっていても終止符をうつのは
とても難しい。 理由は単純である。 寂しいのである。
最近友人となった、愛らしい女の子は言う。
「毎日逢いたいのにね、彼は忙しいから逢えないの。メールも1日
2回位だし・・・。」
ふっと思う。そういえばそんな思いでいっぱいの恋愛をしていた時も
あったなぁ・・・と。
あまりに耐えすぎて、求めることを止めてしまった結果、
2番目でも大丈夫だもの。時々連絡くれればいいもの。ちっとも寂しく
ないんだもの。
・・・・という自分を作り上げてしまったのである。
友人の一人の、
「恋愛くらい、子どものままの自分でもいいかもね。」
という言葉に深く頷いてみた。
冬の寒さは、ちょっとばかり残酷である。
皆で、こんな恋愛に終止符をうち、自分だけを見てくれる人に出逢えれば
いいのだけどね。
星の王子の作者、サン・テグジュペリの言葉に
「愛するそれはお互いを見つめあうことではなく、
いっしょに同じ方向をみつめることである。」
というものがある。
そう、私が求めているのはこれである。
友人と、久々に恋愛話に花?が咲き、
角田光代の「今、何してる?」を読むことにした。
仕事から帰ると、久々の友人2人からクリスマスカードが
届いていた♪
なんだか・・・・なんだか・・・・とっても嬉しい。
久しぶりの友人の字は、素敵なクリスマスの始まりと終わり
をくれた。