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アメリとアリーの大冒険。

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☆A COLLECTION OF SHORT STORIES→no.1☆

「人生とは旅であり。旅とは人生である。」
この言葉は、沢木耕太郎の深夜特急で出会った言葉であり
今でも好きな言葉のひとつである。
最近、これに匹敵する素敵な言葉に出会った。
「歴史とは人間である。」
この言葉は、塩野七生のローマから日本が見えるで出会った
言葉である。彼女は冒頭でこう語る。
「どんな人間であろうと、自分の一生の中で経験できることは
限られている。たとえ政治家になって大きな権力を握ろうとも
、その人には芸術家としての人生は体験できない。努力に努力
を重ねて世界的な大企業のトップに上り詰めても、そこで経験
できることも、主として企業人の人生でしかない。だからこそ
私たちは映画を観たり、本を読んだり、あるいはテレビを見たり
する。そこには、自分が体験できない種々様々な人生が語られ
ているから。歴史とは、人類がこれまで経験した全てのこと
が入っているのである。だから歴史は興味深いのである。

今年も沢山の本に出逢った。来年も沢山の人生を感じたい。
そんな風に思ったのである。

最近私の好きな「村上春樹」が訳した本が出版された。
最近この本を持っている人、購入している場面、読んでいる途中
の人に出くわす。
それが例え知らない人であっても、彼の作品を読んでいるという
事実だけで、親近感に似た感情が自分の中に駆けめぐるのである。
初めて逢った人が自己紹介で「村上春樹を愛読しています。」と
言ったのならば、それが目の前の人物の全てを語っているように思うの
である。


被害妄想・暴力行為の激しい88歳の患者。
夜間その激しさは増していく。彼女の息子に電話をかける。
遠くに住んでいるにも関わらず、すぐにきてくれた息子。
「本当にすみません。前回の入院でもこんな状態だったん
ですよ。本当に困っていまして・・・。自分が小さい頃から
こんな母親でして・・・。人の話など聞くような人ではないのですよ。
この人のおかげで私の人生もだいぶねぇ・・。」
なんだか疲れきった息子さんの話を聞いていると、悲しく
なってきた。
親で自分の人生が変わってしまった・・・と、娘ほど歳の離れた私たち
にもらしてしまった息子さんの心の中は。
自分の両親にもいずれくる「老い」。  私はその時それを受容できるの
だろうか。


とうとう、高校時代からの一番の友人から結婚式の招待状が届いて
しまった。さて、行くべきか否か。今も考えている。
新人の頃からとてもお世話になっている先輩からメールが届いた。
2年後の4月に結婚するので、空けていてほしいとのこと。
2年後の4月・・・・果たして私は何をしているのか?
一寸先は闇というけれど、先のことをいうと鬼が笑うというけれど、
私は明日の自分でさえ見えないのである。


「チベット仏教というのはそういうものなんだ。善いことをすればいつか
必ず報われる。悪いことをすれば、いつか報いがある。」
「日本でもよくいうじゃない。」
「違うんだって。」
「日本人はその報いをすぐにほしがるだろう。でも、違うんだよ。
今じゃなくていいんだ。生まれ変わった後に、それが返ってくるかも
しれない。日本人は即効性を求めるから、いつも苛々、せかせかして
いるんだよ。」
今、仕事場の患者の数は少ない。定員数37に対して17名である。
ひとりの患者さんにかけられる時間はいつもの倍以上である。
心に余裕があるときは優しくなれる。   人生は短いか、長いか?
と問われてもわからない。けれども、心に余裕をもつことで何か
が得られる・・・そんな気がした。
生きることの基盤は、「優しさ・思いやり」なのかもしれない。
# by ameri-ally-french | 2006-12-23 12:46 | 日常。

そうだった・・・。

92歳のおじいちゃま。
彼は私の勤める病院の患者である。
発熱・脱水で入ってきたのだが、もともと無口な性格
であることと、全身状態の低下により活気はなかった。

食事もとらず、言葉もあまり発することはなかった。
話しかけても、ちらっと見るくらいですぐに眠りにはいる。

そんなおじいちゃまを少しでも活気づけようと、車椅子に乗せ
てみた。ご飯も車椅子で食べさせることにした。
そして、沢山話しかけた。  反応の有無は関係なく、とにかく
話しかけてみた。

昨日の夜のおじいちゃまは、なんだかいつもと違った。
そう、車椅子に乗っておいしそうに自分でご飯を食べている
のだ。そして、私の声かけにも笑顔で答えてくれる。

明日、退院することになったおじいちゃま。
今日がおじいちゃまと逢える最後の日だったため、最後に
顔を見に行った。

「今日でお別れね。風邪ひかないでね。」と言うと、
笑顔で
「寂しくなるね。」
と言われた。

久々に思った。
「そう、私は看護師だった。そう、私はこの仕事が好きだったのよ。」

久々に若かりし頃の自分を思い出した。
もっと、患者さんに思いやりをもたなくてはいけないな。
# by ameri-ally-french | 2006-12-18 12:25 | 日常。

「ハゴロモ」

初めて逢った人。
私にとってまず第一に大事なのは「声」である。
自分にとって心地よい「声」であるかどうかが重要である。

「声」が自分にとって心地よかった時に、自分の中で
その人に対してのひとつ扉が開くような気がする。
その扉が開いた次は、「声」を使って「会話」が始まる。

初めて逢った人であるから、会話の大半は相手のことを
知るための会話である。

初めて逢った彼女とは、ひとつのキーワードがでると次々に
共通点が浮上する。
その言葉の連鎖に、私は心地よい気分に陥るのである。

自分とは異なった価値観を持っている人と話すのは楽しい。
けれども、自分と似た価値観を持つ人と話すのは、楽しい以上
の何かがある。
それはきっと、「声」を発さなくとも通じているという安心感を
もたらすからであろう。

沢山の言葉は必要ない。
相手の表情やしぐさが・・・・言葉以上のものを与える。

私と彼女の最大の共通点は
よしもとばななの「ハゴロモ」である。

「同じような気持ちでそばにいるだけで、語り合う言葉がないほうがかえって通じ合えるということのすばらしさを私はその歳にしてもう知っていたみたい。」
とるみちゃんは笑った。
人と人との間には本当は言葉はない、ただ、全体の感じがあるだけだ。
その全体の感じをやりとりしているだけなんだとるみちゃんは悟ったそうだ。

そんな「ハゴロモ」の一文を思い出した。
初めて逢った彼女は、私にとっての「ハゴロモ」となった。
# by ameri-ally-french | 2006-12-17 13:13 | 思うこと。

MOT[モ mo↓]

今日、「君の言葉にいつも助けられるよ。」と友人に言われ、
むしろ私がその言葉に助けられているなぁ・・と思った。

甘えさせてくれる友人や、厳しく叱ってくれる友人がいる。
それは私にとって、とても幸せなことである。

沢山の言葉に助けられ教えられ、生きている。


今日の朝刊でみつけた記事。
フランスの大学受験試験資格を得るための問題のひとつ。
「ある日、セーヌ河で飛びこみ自殺をしようとしている人に遭遇した。自殺を引き止めるために、どんな言葉を貴方はかけますか。」
確か、そんなような問題であったように思う。

朝から、今に至るまで考えている。
今日はさして寒くなかったため、ひと駅前で降り、30分かけゆっくりと歩いて家路に着いた。
その間中、考えた。しかし、私には気の利いた言葉がみあたらない。

哲学博士で教授の、中島義道先生の「どうせ死んでしまう・・・・・」という本の一節を思い出した。
「先生。どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのでしょうか?」
「それはね、君が死んだら僕が悲しいからだよ。」

気の利いた言葉などいらないのだろう。
そう、貴方がいなくなったら私が悲しいから。
# by ameri-ally-french | 2006-12-13 00:28 | 言葉。

電車。

毎日のように中央線の乗車率の高さにうんざりだ。
大好きな人とだってこんなには密着しないだろうって・・・思う位の乗車率。
みんなが降りたいのに、必ずドア付近で意地でも降りない人がいる。
降りてくれた!・・・と思えば、まだみんなが降りきっていないのに、既に乗り込んでくる人もいる。音漏れの激しい人が増えたような気がする。ガムを噛んでいる人の音にも敏感になってしまう。朝の「せかせか」は皆に伝染する。「イライラ」も伝染する
私の唯一の防御策は、読書である。  本だけが私を違う世界へと運んでくれる。
けれども、最近は本を開くのもままならない。
やれやれ、困った。

でも今日は車掌さんが、阿佐ヶ谷の次の停車駅を間違えた。高円寺を飛ばして中野のアナウンスを流してしまった。  車掌さんのちょっと慌てた声の感じに、なんだか癒された私。

人間なんだもの、間違えることだってあるものね。
・・・と、漠然とした安堵感を得たのである。
# by ameri-ally-french | 2006-12-11 23:15 | 日常。